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年金相談の現場から 第4回

2020年7月号

本題に入る前に小ばなしを一つ......って落語ではありませんよ(笑)。年金事務所の窓口でのお話です。

ある日、相談にいらっしゃったお客さまに、「今日のご相談はどのような事でしょうか?」とお尋ねしたら、いきなり「211万円の壁について教えて下さい!」と言われ、面食らってしまいました。「○○万円の壁」というと、103万円(所得税の控除対象配偶者)、106万円(短時間労働者に対する社会保険適用)、130万円(健康保険における被扶養配偶者)などが思い浮かびますが、「211万円の壁」は初耳でした。皆さんは、ご存知でしたか?

私は「211万円の壁って何ですか」と聞いたところ、お客さまはスマホでYoutubeの動画を見せてくれました。それは、年金生活者である夫婦世帯が住民税非課税となる年金収入の事でした。住民税が非課税となる所得は、自治体によって異なりますが、私の勤務する年金事務所がある川崎市では次のようになっています(自治体によって3つの区分があり、首都圏の自治体は概ねこの基準のようです)。

【住民税非課税となる所得額】
35万円×(控除対象配偶者・扶養親族の数+1)+21万

したがって、年金生活者の夫婦世帯(夫が妻を扶養していると仮定)だと、夫の所得が91万円以下(=35万円×2+21万円)であれば住民税非課税となります。そして、年金収入のみの世帯で、夫の年金額が330万円以下であれば公的年金等控除は120万円(65歳以降)なので、年金収入が211万円以下で住民税非課税となる、ということです。

非課税世帯となると、行政サービスが無料となったり、国民健康保険や介護保険の保険料が安くなることがあるので、このような話がネットに上げられているのでしょうが、中には211万円を上回っている場合は、繰上げ受給で年金を減額すると良い、なんてアドバイスをしているものもあり、これは本末転倒ではないかと思いました。

ちなみに、相談にいらっしゃった方は、夫とは前に離婚し、子供と同居しているとのことなので、「211万円の壁」は関係なかったというオチでした。お後がよろしいようで.....

それでは、今日の本題、在職老齢年金について見ていきましょう。前回のコラムでは、今般の制度改革(低在老における支給停止基準の緩和)についてお話ししたので、今回は実務的な観点を取り上げてみます。

低在老に関する4つの計算式

前回のコラムの解説の中で、在職老齢年金の減額の仕組みを以下のような形で説明しましたが、説明が不足していた部分を赤い字で補足しました。

【在職老齢年金制度による年金額調整の仕組み】

賃金注1と年金注2の月額の合計が、基準額注3を超えた場合、超えた額の半分を年金から減額する。(低在老は正確には下の表に基づいて計算される額)

注1:賃金の月額=(標準報酬月額)+(過去1年の標準賞与額÷12)
注2:年金の月額=厚生年金の報酬比例部分のみ
(特老厚で定額部分が付く場合はそれを含む)
注3:基準額:低在老は28万円、高在老は47万円

まず、低在老の減額の計算式は、以下のように定めれらています。上の説明では、下の①の計算式が当てはまりますが、②~④については説明していませんでした。

年金の月額賃金の月額減額の計算式
128万円以下47万円以下(賃金+年金-28万円)÷2
228万円超47万円以下賃金÷2
328万円以下47万円より超(47万円+年金-28万円)÷2+(賃金-47万円)
428万円超47万円より超47万円÷2+(賃金-47万円)

しかし、実務的には①の式で、現在60歳台前半の特別支給の老齢厚生年金(特老厚)を受給している方のほとんどは計算して構わないでしょう。特に、②と④のケースのように、年金の月額が28万円超となることは、現在特老厚を受給している方ではあり得ない程の高い金額です。

男性で誕生日が昭和24年4月1日以前(女性は昭和29年4月1日以前)の方には、報酬比例部分に加え、定額部分が付いていたので28万円を超えるケースがあり得たということでしょう。

また、③のケースでも、年金の月額が最大で20万円程度とし、賃金の月額を48万円とすると、①と③のいずれの計算式で計算しても全額停止となるので違いはありません。

この様に、実務的には①の計算式を頭に入れておけば十分対応できますが、①~④のケースを全て頭に入れておかないと不安な方、例えば、FPなどの試験を受ける場合は、知識を試すために、②~④のケースが問われるかもしれません。その場合も、計算式を丸ごと暗記するよりも、①を基本形として、②~④は以下の2つの原則を①式に当てはめると、楽に覚えられるかもしれません。

  • 年金の月額は、28万円を上限とし、これを超える場合は、28万円を①式の「年金」に代入する。
  • 賃金の月額は、47万円を超える部分に関しては、その超えた分全額を支給停止とする。つまり、①式の「賃金」に47万円を代入し、(賃金-47万円)を追加する。

まあ、実務で使わないような計算式が試験に出ることはないと思いますが.......。

繰上げ受給と在職老齢年金

次に、繰上げ受給と在職老齢年金の関係について確認しましょう。

以前のコラムで、「繰上げ受給は、よほどの事情が無い限りしない方が良い」とお話ししましたが、最近の年金事務所の窓口では、コロナ禍のために収入が減ったり、あるいは失業したために、年金の繰上げ受給の相談に来る方が増えているような気がします。繰上げ受給と低在老はどのように関係しているのでしょう。

例えば、昭和34年7月生まれの男性(満61歳)だと、原則は64歳から特老厚が支給されますが、これを61歳から繰上げて受給すると、3年繰り上げで18%減額されてしまいます。また、繰上げて受給した年金に対しても、低在老が適用されます。

今コロナ禍のために、一時的に給料が減ったり失業しても、また給料が戻るか、あるいは再就職して収入が回復したらどうなるでしょう。繰上げ受給した特老厚が、低在老によってその一部あるいは全額が支給停止となってしまう可能性があります。繰上げ受給したのに支給停止となり、65歳以降も繰上げによって減額された厚生年金が一生続いてしまうのです。

また、繰上げる場合は、特老厚だけというわけにはいかず、基礎年金も一緒に繰上げしないといけません。先の例だと、基礎年金は4年繰上げることになるので24%も減額されてしまいます。コロナ禍で、生活が苦しくなっている場合でも、まずは、雇用保険や自治体の救済制度の活用を検討し、安易に繰上げ受給を選択しない方が良いのではないかと思います。

もう一つ、繰上げに関するトピックとしては、特老厚の支給対象とならない、昭和36年4月2日以降に生まれた男性は、来年60歳となり、原則65歳から支給される厚生年金を繰上げ受給することができるようになります(この場合も、基礎年金は同時に繰上げないといけません)が、この場合に適用されるのは、高在老になります。

つまり、来年4月以降は、60歳台前半で年金を受給するケースにおいて、低在老と高在老の両方が混在することになりますが、今般の制度改正によって2022年4月1日からは、低在老は高在老と同じ仕組みになるので、このような混在する状況も解消されることになります。

それに伴い、繰上げ受給しても在老によって減額されるケースも減るでしょうし、同じ2022年4月1日からは、繰上げの減額率も縮小(0.5%/月→0.4%/月)されます。だからと言って、繰上げ受給をお薦めするわけではないので、しつこいようですが、繰上げ受給は慎重に検討して欲しいと思います。

高在老について

ここまでは、主に低在老についてお話してきましたので、次は高在老についてお話ししたいと思います。

先に説明した通り、2022年の4月からは低在老と高在老の減額の仕組みは同じになるので、特に高在老だからとって、特別なことはないのではないかと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、高在老の対象となる65歳以降の厚生年金に関しては、報酬比例部分だけでなく、経過的加算、加給年金といった給付が追加されるので、まずはこれらに関して整理しておく必要があるでしょう。

下の表をご覧ください。65歳以降に支給される項目について、高在老ではどのように扱われるのかをまとめたものです。

【60歳台後半の在職老齢年金(高在老)の適用のまとめ】

支給停止額の計算高在老(全額停止)高在老(一部停止)
経過的加算含まない支給支給
加給年金含まない停止支給
繰下げ加算含まない支給支給
老齢基礎年金含まない支給支給

まず、支給停止額を計算する際の年金額には、いずれの給付も含まれません。支給停止額の計算に含まれるのは、60歳台前半(特老厚)と同じ、報酬比例部分だけです。

次に、高在老によって減額されるのは、基本的に報酬比例部分だけです。減額の計算に含めるのも、減額される対象になるのも、「報酬比例部分のみ」ということになりますが、加給年金だけは、年金本体(報酬比例部分)が全額停止となった場合は支給停止となるので、注意が必要です。

繰下げ受給と高在老

前回のコラムで、65歳以降の厚生年金を繰下げ受給しても、増額の対象となるのは、高在老を適用したと仮定して、その支給停止とならない部分に限られている、と説明しました。そうすると、65歳以降も給与収入が十分にある方の場合は、年金を受給開始しても全額停止だけど、繰下げても65歳時点の年金と変わらないなら、面倒くさいから65歳から受給開始としようと決めてしまうようなケースがあります。

しかし、ここは落ち着いて、もう少し考えてみましょう。

まず、先に説明した通り、経過的加算は高在老による減額の対象外です。大学卒業後22~23歳で就職して、65歳までずっと厚生年金に加入してきた方は、経過的加算が数万円(年額ですが)は付き、この部分は繰下げによる増額の対象となります。仮に経過的加算が5万円あったとして、70歳まで5年間繰下げれば、約2万円のアップになります。年額とはいえ、ばかにならないのではないでしょうか。

一方、加給年金は、繰下げても増額にならず、本体の報酬比例部分が全額停止となっていると、加給年金も支給停止となってしまします。したがって、例えば2歳程年下の加給対象となる配偶者がいるような方が、65歳になり加給年金を受けたいがために、繰下げずに65歳から受給開始したとしましょう。しかし、この方が高在老によって全額停止となるよう方だとしたら、お目当ての加給年金は受け取れず、繰下げによって少しでも年金を増やすこともできなくなってしまうので注意が必要でしょう。

そして、高在老によって年金に支給停止が掛かってしまうような方にお薦めなのは、老齢基礎年金を繰下げる、ということです。高在老の対象になるのは厚生年金だけなので、基礎年金を繰下げれば、全額が繰下げ増額の対象となります。でも、現実には、高在老で支給停止が掛かるような方でも、厚生年金だけを繰下げて、基礎年金は65歳から受給開始しているケースも結構あるんですよね。「貰えるものは早く貰いたい」という心理なのかもしれませんが、ここで何回もお話ししているように「年金は老後の所得保障と長生きリスクに備える保険である」という原則を忘れずに、検討していただきたいと思います。

在職老齢年金の定番質問

最後に、低在老、高在老に共通する定番の質問について考えてみたいと思います。

定番の質問とは、「給料をいくらにすれば年金が減額されないのか」というものです。一つ事例を見てみましょう。

【低在老に関する相談】

相談者:61歳女性(昭和34年7月生まれ)
現在の賃金月額(賞与込み):30万円
年金月額:10万円(今年の誕生日で支給開始)

相談:この場合の支給停止額は6万円(=[30+10-28]÷2)で、受け取る年金額は4万円であるが、賃金をいくらにすれば、年金を全額受給することができるか。

回答:現在、低在老の減額基準額は28万円なので、賃金を18万円以下にすれば、減額されない年金10万円を受け取ることができる。

上の回答については、間違いではありませんが、もう少し考えてみましょう。相談にいらっしゃる方は、とかく年金の額だけに注目していることが多いようですが、年金と賃金トータルで見たらどうなるでしょう。

現状賃金減額後
賃金収入30万円18万円
年金収入4万円10万円
収入合計34万円28万円

賃金を減らせば年金は増えますが、トータルの収入はどうでしょう。当たり前のことですが、トータルの収入は現状の方が高くなります。しかし、年金ばかりに気を取られていると、その当たり前のことを見落としがちになってしまうのではないでしょうか。

年金を減額されないようにするため、就労時間を調整したり、基本給や時給を下げてしまうことはナンセンスであることに気づいて欲しいと思います。事業主の中には、年金が減額されないようにと従業員をそそのかして、賃下げに同意させるようなこともあるようです。

低在老は、2年後には減額の基準が28万円から47万円に緩和されます。そうすれば、今の賃金のままでも年金は減額されなくなります。相談者の方には、くれぐれも、慎重に判断をして欲しいと思います。

以上、今回は在職老齢年金について、実務的な観点からお話をさせていただきました。次回は、年金の積立金の運用について取り上げる予定です。どうぞ、お楽しみに!

公的保険アドバイザー協会
アドバイザリー顧問
髙橋義憲

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