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第20回 岸田政権のスタートに思うこと

前回、前々回と、田村厚労大臣(当時)が発表した年金改革案と、その後の自民党総裁選の焦点となった年金改革論争についてお話ししました。私は、岸田首相が唱えていた「すべての労働者を厚生年金に入れる」適用拡大についての議論が進んでいくことを期待していましたが、世の中どうも一筋縄ではいかないようです。今回は、そんな世の中の動きを眺めながら感じたことをお話ししたいと思います。

「岸田ショック?」で株式市場が下落

株式市場は、菅前首相の退陣表明後上昇を続け、日経平均は3万円の大台を回復しました。しかし、9月29日、前日の米国株安を受けて下げていた日経平均が、総裁選での岸田氏優勢が報じられると、さらに下げる展開となりました。

「年金制度の抜本的改革」は話にならないトンデモ論でしたが、株式市場では「改革派」として河野氏に対する期待が高かったため、岸田氏の総裁選勝利に対して警戒感が高まったということのようでした。

この日から、日経平均は6営業日連続で下げ、その下げ幅は2600円余りとなりました。メディアは、この下げの原因は、中国の不動産大手恒大集団の経営危機や米国の金利上昇などに加えて、「改革」よりも「分配」を優先し、金融所得課税の強化を唱える岸田首相の経済政策に対する失望売りであるとして、「岸田ショック」などと報じていました。

私は、このような報道の発信源である金融機関とメディアの酷さに憤りを感じていました。

金融所得課税の強化は投資家にとってマイナスか

まず、金融所得課税の強化ですが、この話は今に始まったことではなく、以前から税制改正の俎上に上がっていました。その理由は、報じられているとおり、現行の一律20%(復興特別所得税を除く)の源泉徴収だと、金融所得の割合が高い富裕層にとって有利な制度となっており、これを是正するためということです。

ところが、これに対して、「貯蓄から投資」の流れに反するとか、一般生活者の資産形成に悪影響を及ぼすとか、金融業界やメディアから反対の声が上がり、結局、「金融所得課税については、当面触れない」と岸田首相が本案を撤回することとなりました。

しかし、反対をいち早く唱えていた金融業界関係者の腹の内は、彼らのお得意様である富裕層や、投機的なマネーゲームに興じる顧客を守ることが目的だったのではないでしょうか。

制度見直しの本来の趣旨である「富裕層に対する課税強化」であれば、単純に一律で税率を引き上げるようなことを、岸田首相は考えていたのではないと思います。累進方式にするとか、あるいは一般生活者の資産形成のためには、つみたてNISAの恒久化や積み立て額の拡大ということをパッケージで議論すれば、多くの生活者のためにはプラスとなったかもしれません。

岸田首相の情報発信の拙さもあったかもしれませんが、金融業界と、その御用メディアに一本取られたような気がして、残念で仕方ありません。

適用拡大は改革であり成長戦略でもある

「岸田ショック」のもう一つの理由とされた、「分配優先で改革がない」という点ですが、これも全くの誤解で、下のような新聞記事を見るとがっかりしてしまいます。

株価「岸田ショック」の真相 投資家、改革後退を警戒
「この1週間、海外投資家とのミーティングが正直つらい。分配には成長が必要だろう、どうやって成長するんだと詰められるが、こちらは明確に答えられないんですから」。ある証券会社のストラテジストは訴える。(10月6日付日本経済新聞電子版より抜粋)

何度も繰り返しになりますが、適用拡大は成長戦略です。「証券会社のストラテジスト」の方だと、公的年金についてはあまり詳しくないのでしょうが、適用拡大の意義について、このような方達にも理解して欲しいところですね。

また、成長戦略という文脈の中で、よく出てくるのが「生産性の向上」です。この言葉は、ともすると、労働者がもっと頑張らなければならないというような、労働者側の課題として捉えられることが少なくないようですが、これは企業経営者、あるいは企業を束ねて国全体の経済政策を運営する政府の課題です。

適用拡大によって、「保険料を払えない生産性の低い企業の淘汰が促進される」というと、そのような企業で働く人々の生活が脅かされるように誤解されますが、淘汰されるのは企業経営者です。労働者はより生産性の高い企業や分野へ移動することによって、賃金をはじめとする待遇の改善につながり、それが消費を喚起し、国全体の経済成長につながることになります。

適用拡大と同じような効果が期待できる政策としては、最低賃金の引き上げがあります。安倍政権下では、毎年平均3%の引き上げがなされ、菅首相も「早期に全国平均1千円を目指す」と表明していました。エコノミストのデービッド・アトキンソン氏は、最低賃金の引き上げを強く唱えており、菅首相のブレーンとして助言をしていましたが、同じブレーンの一人に竹中平蔵氏もいたためか、何かとアトキンソン氏の論考は市場主義的なものだと誤解されることが多いようです。

しかし、最低賃金の引き上げによって、安い賃金に頼るビジネスモデルは変えていかなければいけません。「最低賃金を上げると、負担が増した企業は雇用を減らす」として、最低賃金の引き上げに反対する向きもありますが、今年のノーベル経済学賞を受賞した、アメリカの経済学者デビッド・カード氏の実証研究によると、「最低賃金の引き上げは、雇用を減少させるものではない」と結論付けられています。

労働者をより生産性の高い分野に移動させるためは、職業訓練やリカレント教育の機会を提供し、訓練期間中の所得保障を拡充させていく必要があり、ここに予算をしっかりととるべきではないでしょうか。

下のグラフは、コロナ禍の前後で正規・非正規別雇用者の増減を産業ごとに表したものです。コロナ禍において、飲食業や宿泊業は大きな打撃を受け、そこで働く非正規雇用の数は大きく減っていますが、情報通信や医療福祉の分野では正規雇用が増えています。飲食業などは、コロナ禍に対しては経営努力だけではどうにもならない面はあるものの、非正規労働者に依存していた部分があぶり出されたようにも見えますね。

「新しい資本主義実現会議」に注目

岸田首相は就任後、自身が唱える「新しい資本主義」の実現に向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、「新しい資本主義実現会議」(以下、実現会議)を設置しました。会議体のメンバーは以下の通りです。

メンバーの中には、皆さんもよくご存じの方も入っていると思います。私は、この会議体で、社会保障制度についてどのような議論がなされるのか注目しています。特に、岸田首相が唱えている「勤労者皆社会保険」すなわち適用拡大について、それを着実に実行に移すための道筋を定められるかというところです。

すべての労働者を厚生年金に加入させることを最終目標とし、そこまでの道筋を、財政検証のオプション試算で示された3段階で示すと以下の通りとなります。

第1段階:週20時間以上、月収8.8万円以上の労働者(125万人拡大)
第2段階:週20時間以上の労働者(325万人拡大)
第3段階:月収5.8万円以上の労働者(1050万人拡大)

現在は第1段階で、企業規模要件(501人以上)が付されていて、これを2024年までに「51人以上」に引き下げることが決まっています。年金部会の議論では、企業規模要件を完全撤廃すべしという結論でしたが、中小企業を中心とする財界の反対があったため、51人以上という企業規模要件が残ってしまいました。

この企業規模要件を残すことが事実上決定されたのが、安倍政権時代の「全世代型社会保障検討会議」で、そのメンバーだったのが翁氏と柳川氏です。今回の実現会議には、中小企業の代表である商工会議所会頭の三村氏もメンバーに加わっており、なかなか手ごわそうです。さらに、第2,第3段階と進めるとなると、大企業にも影響がでるので、経団連も黙ってはいないでしょう。

正直いって、翁氏と柳川氏では適用拡大を強力に進めていくのは、少々荷が重いように感じ、実現会議のメンバーが公表された時、私はがっかりしてしまいました。後は、連合の会長に就任したばかりの芳野氏に頑張って欲しいと思いつつ、元々は岸田首相が唱えたことでもあるので、首相のリーダーシップに期待したところですが…

勤労者皆保険は公約だが

10月20日の日本経済新聞の社説で以下のような文章がありました(太字は筆者が加えたもの)。

【10月20日付日本経済新聞社説 「高齢化に耐える社会保障改革案を示せ」】
(前略)
高齢化を見据えた改革が急務なのは年金も同様だ。今のままだと公的年金の1階部分にあたる基礎年金の給付水準が将来にかけて大きく目減りし、老後の生活を支える機能が弱まるためだ。
立憲民主党と国民民主党は年金の最低保障機能を強化する方針を掲げた。立民は一定以上の所得がある場合に基礎年金の支給を一部制限し、低所得者に上乗せ支給するという。日本維新の会は、減税と現金支給を組み合わせた給付付き税額控除か、国民に一定額を一律支給するベーシックインカムを軸として、年金を含む再分配の抜本改革を検討するという。
年金改革は負担と給付の変化が分からないと有権者は判断しにくい。各党の公約にはこの情報がない。自民党は改革の方向性すら記載していない。各党は国民の不安に向き合い改革案を示すべきだ。

日経の社説は、意図的なのか否か分かりませんが、なぜこのような間違いを犯すのでしょう。下線部分の「自民党は改革の方向性すら記載していない」とありますが、公約には以下のようにしっかりと書かれています。

【自民党 令和3年政権公約より】
働き方に中立的な、充実したセーフティネットを整備していくため、働く方が誰でも加入できる「勤労者皆保険」の実現に向けて取り組みます。

ただ、確かに適用拡大を公約としてあまりアピールしていないことは事実です。適用拡大は、「改革がない」とか「成長戦略がない」という批判に対してアピールできる公約だと思うのですが、そうしないのは、もしかしたら経済界からの支持を失いたくないという算盤勘定があるのかもしれません。

まずは選挙結果に注目ですね。


公的保険アドバイザー協会
アドバイザリー顧問
髙橋義憲

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