公的保険のぜんぶがわかる!保険募集人・FP専門メディア

第10回 繰り上げ・繰り下げのデータを読み解く

2021年5月号

最近、公的年金の繰り上げ、繰り下げに関する記事を目にすることが多くなったような気がします。それだけ、皆さんの関心が高いということでしょうか。

記事の内容も、これまであまり目にすることのなかった65歳以降の受け取り方(いわゆる「二股作戦」です。詳しくは当コラムの第8回を参照)について解説しているものもあり、生活者の高齢期の生活設計に役立つ情報が増えてきていることは、喜ばしいことです。

一方、残念ながら誤解を招くような記事も依然としてあります。先日、あるネットの記事で次のような解説がありました。

厚生労働省の「令和元年度 厚生年金保険・国民年金事業の概況」によれば、繰上げ受給をしている人が29.5%であるのに対して、繰下げ受給をしている人はわずか1.6%にすぎません。

これと同じデータを引用している記事をたまに目にすることがありますが、3割近い人が繰り上げを選択していると聞くと、繰り上げを助長するのではないかと心配になります。

このデータの引用は誤りで、誤解を招きます。下の「令和元年度厚生年金保険・国民年金事業年報」から抜粋した元データをご覧ください。

赤い枠で囲った数字が、記事で引用されていた「繰り上げの割合が29.5%、繰り下げの割合が1.6%」の元データですが、この表をよく見ると、「基礎のみ・旧国年」(赤の下線部分)と注釈がついています。

29.5%というのは、基礎年金のみを受給している688万人のうち、これを繰り上げて受給した人が203万人ということを意味しています。つまり、全受給者に対する割合ではないのです。

国民年金の全受給者3,392万人に対しては、繰り上げ受給した人は416万人で、その割合は12.3%(青枠)なのです。繰り下げた人の割合は1.5%となっています。

また、これらのデータは、過去に繰り上げ、あるいは繰り下げを選択した人たちの結果であって、現在において年金を受け取る際の選択を反映したものではありません。繰り上げを選択する人は年々減ってきていていることが、下のデータから読み取れますね。

ここでもう一つ留意すべき点は、上で紹介したデータは、国民年金(基礎年金)の繰り上げ、繰り下げの状況を表したものだということです。厚生年金の受給状況は、下のようになっています。

厚生年金の場合は、繰り上げの割合が0.4%(令和元年度)で、非常に低いですね。これは、厚生年金の支給開始年齢は、現在60歳から65歳に引き上げられている最中で、現受給者の多くは厚生年金の支給開始年齢が60歳だったので、元々繰り上げることができなかったためと言えます。

現在、厚生年金の請求をする方たちの支給開始年齢は、男性は63歳、女性は61歳ですが、このような方たちが、厚生年金を繰上げて請求するケースは、あまりないと思います。大体は、厚生年金の支給開始年齢に達して請求手続きをする際に、同時に基礎年金を繰り上げて受給するパターンだと思います。

ということで、繰り上げについては、主に基礎年金がその対象となるので、基礎年金の繰り上げの状況について、もう少し詳しく見てみましょう。

下の表は、受給開始時期の選択を終了した、各年度末時点で70歳の方たちの基礎年金の繰り上げ、繰り下げの状況を表したものです。

これによると、基礎年金のみの受給者の繰り上げ受給の割合は、22.0%(平成27年度)から17.6%と、大きく低下していることが分かります。

また、全受給者で見ても、繰り上げ受給の割合は少しずつ低下してきて、令和元年度では9.2%です。一方、繰り下げ受給の割合は、まだまだ低いですが、こちらは上昇してきて、令和元年度では1.9%と2%に近づいてきています。

次に、下の表は、各年度において新規裁定された基礎年金の繰り上げ、繰り下げの状況です。

表の下の方は、基礎年金のみのケースで、繰り上げの割合が低下し、繰り下げの割合が上昇しているのが分かりますね。平成29年には、繰り上げも繰り下げも低下していますが、これは、法改正により受給資格期間が25年から10年に短縮されて受給権が発生した方が多く含まれているための特殊要因です。

表の上の方は、基礎年金のみ新規裁定した方に、基礎年金と厚生年金を同時に新規裁定した方を加えた場合のデータです。こちらの方は、繰り上げの割合が高くなっていますが、ここには、60歳代前半で特別支給の老齢厚生年金(特老厚)の請求と同時に、基礎年金を繰り上げ請求した方が多く含まれています。

通常は、特老厚を請求した後、65歳になると基礎年金の受給を開始しますが、そのような大多数の方はこのデータに含まれていないため、繰り上げ受給の割合が高くなっているものと推測されます。

下のグラフは、新規裁定における繰り上げ受給の割合の推移を表したものです。

基礎年金のみを請求した場合(「基礎のみ」)と、基礎年金と厚生年金を同時に請求した場合(「基礎+厚年」)とに分けています。「基礎+厚年」の繰り上げ受給の割合が高いのは、先に説明した通りで、特殊な事情によるものですが、それでも右肩上がりになっているのは、気になるところです。

一方、「基礎のみ」の方は、上下しながらも徐々に低下してきていますね。

また、「基礎のみ」と「基礎+厚年」のいずれのケースでも、グラフの①~③の時期において、繰り上げ受給の割合が特に上昇しています。この理由について、考えてみましょう。

①は、2018年4月頃です。これは、当時財務省の財政制度等審議会で、「支給開始年齢の引上げ」という話が出てきたことが影響したのではないかと思います。こちらのコラムでは、支給開始年齢の引上げは、現行制度においては意味がないということは、何度も説明したと思いますが、一般の方たちは、早く受け取らないとマズイと思ったのでしょうか。

②は、2019年の6月頃で、金融庁の報告書に端を発した「2000万円問題」が起きたときです。マスコミが年金制度に対する不安を煽るような報道をしたために、それに惑わされて繰上げ受給をする方が増えたのではないでしょうか。何とも罪作りな話ですね。

③は、2020年4月頃で、これはコロナ禍による影響でしょう。職を失って生活が苦しくなった方とか、コロナのために長生きできないかもしれないと不安に感じた方が繰上げ受給をしたのではないでしょうか。確かに、昨年の今頃は、年金事務所の窓口でも繰り上げ受給の相談が多かったと思います。その頃に比べると、繰り上げ受給を選択する割合は落ち着いてきていますね。繰り上げた年金は一生減額されたままなので、できる限り他の救済策の利用を検討して、繰り上げは最後の手段とするべきだと思います。

最後に、基礎年金のみの新規裁定における繰り上げと繰り下げの割合の推移を見てみましょう。下のグラフを見ると、基礎年金のみの請求においては、繰り下げを選択する方が増えてきていて、繰り上げを逆転していますね。

一般的に、基礎年金のみの方は、ずっと3号被保険者だった女性が多く、夫が先に亡くなった場合の備えとして、自分の基礎年金の繰り下げが推奨されています。このデータを見ると、高齢期の備えをしっかりとする方が増えてきているようで、うれしいですね。

今回は、繰り上げと繰り下げに関するデータを見て、年金の受け取り方がどのように変わってきているかをお話しました。「繰り上げを選択する人が3割」などという誤ったデータの解釈に惑わされぬようにしてください。

公的保険アドバイザー協会
アドバイザリー顧問
髙橋義憲

SNSでフォローする